津市

長源寺の六地蔵石幢 津市安濃町内多

年代不詳 安濃町内多 安濃川の支流美濃屋川の左岸の緩やかな河岸段丘の裾野に広がった集落です集落の外で車を捨てて細い道を縫うようにしながら長源寺を訪ねました 境内の並んだ御堂の一つに 六地蔵石幢の残欠が残されています 重制石幢の龕部だけが残さ...
津市

恩仲寺の六地蔵石幢 津市安濃町草生

年代不詳 安濃町草生仲之郷 経が峰の東麓 低い丘陵に囲まれた静かな在所ですさほど大きくない集落を見渡すと お寺の瓦屋根が三箇所も見えますその中の一つ 恩仲寺に向かうため 緩い坂道を登って行きました 境内に隣接する墓地の入り口に立つ六地蔵石幢...
名張市

倉たて地蔵 名張市夏秋

江戸前期 江戸時代前期の六地蔵石幢です緑ヶ丘団地西側の外周部と名張川右岸の間の河岸段丘に沿って続いている小径の途中緑ヶ丘団地の北西角から南下すると約350m逆に団地の南西角にあたる夏秋橋東詰から北上すると300m弱夏秋橋の東詰から北上した方...
伊賀市

九品寺の六地蔵石幢

三重県伊賀市守田町元禄四年(1691) 守田九品寺の六地蔵石幢です 龕部の地蔵さんは浮き彫にはせずに それぞれの地蔵さんの種子と蓮弁を薬研彫にしています  江戸中期にまで時代がくだるので 石材には花崗岩がつかわれています 竿も太くなりどっし...
松阪市

田面の六地蔵石幢 松阪市曽原町

室町後期 太田古朴氏が美杉村史に書かれた多気の六地蔵石幢についての記事中に「尚一志郡に存在する同種のものには左記があるが何れも六地蔵部のみで他を欠く。大部分室町末期のものである。」とした上で何箇所かの石幢の所在を紹介されている ほとんどはお...
津市

室の口の六地蔵石幢 津市一志町波瀬

室町時代後期 井関から県道一志美杉線を西へ  波瀬の集落ももう尽きようとするところ民家と民家の間の狭い土地に六地蔵石幢が立っています 摩耗が進んでいて 地蔵さんの姿も うっすらとしか見ることができませんが重制石幢の龕部です 時代の降ったもの...
津市

信蓮寺の六地蔵石幢 津市白山町南出

宝永四年(1707) 津市白山町南出の信蓮寺天文十九年銘の大きな地蔵さんがおいでで何度か写真を撮らせてもらったのですが うかつにも地蔵さんに並んで重制の六地蔵石幢が立っていることに気がつかなかったのでした 幢身に『宝永四年亥年』(1707)...
津市

正住寺の六地蔵石幢 津市白山町上ノ村

天和元年(1681) 津市白山町上ノ村の正住寺は集落を横切る初瀬街道からは少し離れた山手の小さな無住寺です 境内に天和元年の刻銘のある重制石幢が立っています 龕部と竿以外は継ぎはぎのようですずいぶん傷んでいますが辛うじて像容が窺えます 参考...
松阪市

最勝寺の六地蔵石幢 松阪市嬉野黒野町

明治十一年(1878) 嬉野黒野町 在所の中を南北に県道が通っている この道を毎日仕事に通っていた頃がある 県道とはいえ車一台通るのがやっとの狭い道だったが 通勤ドライバーは慣れたもので 要所要所で車を停めて譲り合いながらスムーズに行き交っ...
松阪市

宮古の六地蔵石幢 松阪市嬉野宮古町

元禄十四年(1701) 県道松阪久居線を行き雲出川の支流中村川を北に渡ったところに忘れ井の宮古の里が拡がっている 私が勤め始めた頃は小川橋が現在より少し下流にあって その橋を渡って旧初瀬街道が宮古の在所を縦断して伸びていた 街道から集落の中...