伊賀市

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末光稲荷社の六地蔵石幢 伊賀市上野玄蕃町

江戸時代 上野城の東外堀に沿って南北に延びた町 玄蕃町家老藤堂玄蕃や同じく家老藤堂新七郎の下屋敷があったところで今でも武家屋敷町の風情が感じられます狭い路地を入っていくと末光稲荷の石標が立つ小さな稲荷社があってその境内の一角の小さな祠に石幢...
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西念寺の六地蔵石幢 伊賀市依那具

江戸時代 六地蔵石幢の中には六地蔵を浮彫りの地蔵さんではなく種子で表したものがあります以前に紹介した守田の九品寺の石幢には龕部六面に六地蔵の種子が刻まれていますこれと同じような石幢が依那具の西念寺にも残されています 西念寺は木津川の右岸に広...
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西方寺の六地蔵石幢 伊賀市上神戸

江戸時代 上神戸の西方寺にも重制石幢の龕部が残されています 枠取りのない点を除けば大野木西福寺の地蔵さんとよく似た 僧衣を八の字に開いた地蔵さんです 最初見つけることができなかったのですが ご住職にお訪ねしたところ ご親切に教えてくださいま...
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橋本寺の六地蔵石幢 伊賀市大野木

宝暦四年(1754) 天台真盛宗橋本寺 名阪大内インターを下りて波多野街道を上野に向かって走るとすぐに右手に見えてくるお寺です 境内の六地蔵石幢は重制石幢の龕部だけが残ったもので 笠石 蓮台 中台以下の基壇は寄せ集めですが 境内のよくわかる...
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西光寺の六地蔵石幢 伊賀市槇山

年代不詳 槇山は四方を低山に囲まれた静かな山里です みちゆき地蔵さんの手前で集落の後ろの丘陵中腹に西光寺はあります 裏手の墓地に廻ってみると 無縁墓の前に 竿石を欠いた重制石幢が立っていました 江戸時代頃の地蔵さんでしょうか 大きなお顔でふ...
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鳳凰寺墓地の六地蔵石幢 伊賀市鳳凰寺

年代不詳 鳳凰寺 知らない間は「ほうおうじ」と読んでいました 「ぼうじ」と読みます鳳凰寺は飛鳥時代に建てられた寺院で その礎石が現在の薬師寺に残っています壬申の乱で敗れた天智天皇の子 大友皇子は伊賀皇子と呼ばれたように 生母の伊賀采女宅子は...
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九品寺の六地蔵石幢

三重県伊賀市守田町元禄四年(1691) 守田九品寺の六地蔵石幢です 龕部の地蔵さんは浮き彫にはせずに それぞれの地蔵さんの種子と蓮弁を薬研彫にしています  江戸中期にまで時代がくだるので 石材には花崗岩がつかわれています 竿も太くなりどっし...
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鍛冶屋墓地の六地蔵石幢 伊賀市鍛冶屋

江戸時代 東谷観音寺の門前から右手に伸びる小道を辿っていきます 木立の中をしばらくいくと東山の地割りを越えてすぐ左手に鍛冶屋の墓地があります 土葬墓で所謂「三昧」だった墓地だろうとおもいます 今でも木製の卒塔婆が立てられています 夏草におお...
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西福寺の六地蔵石幢 伊賀市大野木

江戸時代 地蔵さんの写真を撮りにいって 偶然にみつけた六地蔵さんです 最初は最近作られた石灯籠かとおもっていて注意していなかったのですが 何気なく火袋を見てみると 可愛らしい地蔵さんが並んでいました イラストのような面白いデザインの地蔵さん...
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普賢院の六地蔵石幢 伊賀市玉滝

南北朝時代伊賀市有形文化財 玉滝は名張の黒田荘とともに東大寺の荘園が発達した場所だ 当初は「玉滝杣」と呼ばれ 東大寺に必要な材木を伐採するための場所だったが次第に内保 湯船 鞆田 真木山へと拡大していき 広大な玉滝荘が形成されていった その...