伊勢市

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欣浄寺の六地蔵石幢 伊勢市一之木

室町後期 三重県内の六地蔵石幢を追いかけています 当初は30基程度だろうかと考えていたのですが 想像以上に多く見つかります 奈良県内には数基しか見られないことを思うと 三重県内の六地蔵石幢の多さには特別な事情があるのだろうと思えますが はっ...
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大林寺の六地蔵石幢 伊勢市古市町

室町後期 油屋騒動 京の島原 江戸の吉原とともに三大遊廓のひとつと呼ばれた伊勢古市今ではその面影を残すものは多くありません安政八年(1796)古市の伎楼油屋で27歳の町医者孫福斎(まごふくいつき)が遊女お紺(16歳)への嫉妬から起こした刃傷...
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天神丘墓地の六地蔵石幢 伊勢市字浦田

江戸前期 伊勢の図書館は時々行く場所だ 市史や町史を漁っての情報収集するのが主な目的で 半日ほどをそこで過ごすことがあるすぐそばに天神丘墓地があるのだが訪ねてみたことはなかったそこに石幢が立っていることは知っていたがいつでも行けると油断して...
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松下墓地の六地蔵石幢 伊勢市二見町松下

延宝九年(1681) 伊勢市二見町松下 蘇民将来を祀る松下社が氏神です 集落は松下社から1kmほど離れた山手にあります 国道42号線松下交差点を南に入り 参宮線を越えてしばらくいくと松下川です 右手に伸びる川の流れは少し先で五十鈴川派川と合...
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三津墓地の六地蔵石幢 伊勢市二見町三津

延宝元年(1673) 伊勢市二見町三津町の南辺に沿って五十鈴川派川が流れています昔は現在よりも川幅が広く三津湊と呼ばれるほど船の出入りが盛んだったらしい五十鈴川を遡った倭姫が船を止めたのがここであったため『御津』と呼ばれるようになったといい...
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溝口墓地の六地蔵石幢 伊勢市二見町溝口

元禄七年(1694) 伊勢と隣接する旧二見町にも六地蔵石幢が多く残されています今では伊勢市と合併していますが 2005年までは度会郡二見町でした二見は伊勢神宮の禊の地でしたが 「溝口」は「ミソギグチ」から転じたものだといいます その溝口の墓...
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荘墓地の六地蔵石幢 伊勢市二見町荘

天和二年(1682) 伊勢市二見町荘 海辺には伊勢神宮の神事に使う堅塩を作る御塩殿神社があります 御塩殿神社から西に500mほど歩くと もう少しで荘の外れというところで左手に墓地が見えてきます ここが荘墓地です 墓地の入り口に単制石幢が立っ...
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昌久寺の六地蔵石幢 伊勢市一色町

室町後期 伊勢市一色勢田川と五十鈴川が合流して伊勢湾に流れ込む河口部の街町の東側は五十鈴川の左岸に沿って耕地がひろがり西側の勢田川の右岸には 堤防の下に民家が密集している車を捨てて路地を歩くが独特の風情を残す場所である 集落のほぼ中心に一色...
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正眼寺の六地蔵石幢 伊勢市通町

江戸前期 勢田川橋を渡ると通町です 勢田川の右岸に沿って県道宇治山田港線が勢田川の河口に向かって伸びています 昭和四十九年に一色大橋ができるまでは県道の一部に(一色から神社港まの間)水路「一色の渡し」を含んでいました そんな水運の町らしく ...
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高木墓地の六地蔵石幢 伊勢市船江町

江戸前期 松阪市にも船江町がありますがこれは「府内ふない」から転じたと聞いたことがあります伊勢市船江町こちらの古名は「船饗ふなあえ」だったそうです宮川の支流と勢田川が交わり多くの船舶が集まる場所でした高木墓地は勢田川と桧尻川に挟まれた町のほ...