松阪市

白衣観音祠の六地蔵石幢 松阪市辻原町

年代不詳 平成の合併までの旧松阪市内に重制石幢は残っていないと思っていました古い資料の中には小野町の無量寺墓地に龕部が残されているとありますがこれは残念ながら既に散逸していますところが住民協議会が作成したウォーキングマップを眺めていると辻原...
亀山市

梶ヶ坂の六地蔵石幢 亀山市加太

2022.06.162023.12.18 加太梶ヶ坂 常光寺へと続く緩い参道を登っていく民家とさほど変わらない見かけの素朴なあじわいのお寺でした本堂の前に地蔵さんと並んで重制の石幢が祀られています この石幢は元は別の場所にあって道路拡張にと...
津市

下垣内庚申堂の六地蔵石幢 津市美杉町石名原

年代不詳 下垣内のバス停から堀抜橋で伊勢地川を渡ってすぐのところで右手に延びる小道に入りますその小道が伊勢本街道の古道です集落の裏を五分ほど歩いて そろそろ舗装された本街道に合流すると言う場所に下垣内庚申堂の覆屋が立っています覆屋の中には丸...
松阪市

常念寺の六地蔵石幢 松阪市嬉野中川町

年代不詳 通勤していた頃には 毎日近くを通っていたので ここならいつでも寄れるとおもいながら勤めていた間は結局訪ねることもせずに何年も月日が経ってしまいました嬉野中川町の常念寺です お寺の駐車場に車を停めさせてもらって山門をくぐるとすぐのと...
伊賀市

末光稲荷社の六地蔵石幢 伊賀市上野玄蕃町

江戸時代 上野城の東外堀に沿って南北に延びた町 玄蕃町家老藤堂玄蕃や同じく家老藤堂新七郎の下屋敷があったところで今でも武家屋敷町の風情が感じられます狭い路地を入っていくと末光稲荷の石標が立つ小さな稲荷社があってその境内の一角の小さな祠に石幢...
伊賀市

西念寺の六地蔵石幢 伊賀市依那具

江戸時代 六地蔵石幢の中には六地蔵を浮彫りの地蔵さんではなく種子で表したものがあります以前に紹介した守田の九品寺の石幢には龕部六面に六地蔵の種子が刻まれていますこれと同じような石幢が依那具の西念寺にも残されています 西念寺は木津川の右岸に広...
伊賀市

西方寺の六地蔵石幢 伊賀市上神戸

江戸時代 上神戸の西方寺にも重制石幢の龕部が残されています 枠取りのない点を除けば大野木西福寺の地蔵さんとよく似た 僧衣を八の字に開いた地蔵さんです 最初見つけることができなかったのですが ご住職にお訪ねしたところ ご親切に教えてくださいま...
伊賀市

橋本寺の六地蔵石幢 伊賀市大野木

宝暦四年(1754) 天台真盛宗橋本寺 名阪大内インターを下りて波多野街道を上野に向かって走るとすぐに右手に見えてくるお寺です 境内の六地蔵石幢は重制石幢の龕部だけが残ったもので 笠石 蓮台 中台以下の基壇は寄せ集めですが 境内のよくわかる...
伊賀市

西光寺の六地蔵石幢 伊賀市槇山

年代不詳 槇山は四方を低山に囲まれた静かな山里です みちゆき地蔵さんの手前で集落の後ろの丘陵中腹に西光寺はあります 裏手の墓地に廻ってみると 無縁墓の前に 竿石を欠いた重制石幢が立っていました 江戸時代頃の地蔵さんでしょうか 大きなお顔でふ...
伊賀市

鳳凰寺墓地の六地蔵石幢 伊賀市鳳凰寺

年代不詳 鳳凰寺 知らない間は「ほうおうじ」と読んでいました 「ぼうじ」と読みます鳳凰寺は飛鳥時代に建てられた寺院で その礎石が現在の薬師寺に残っています壬申の乱で敗れた天智天皇の子 大友皇子は伊賀皇子と呼ばれたように 生母の伊賀采女宅子は...