江戸前期
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江戸時代前期の六地蔵石幢です
緑ヶ丘団地西側の外周部と名張川右岸の間の河岸段丘に沿って続いている小径の途中
緑ヶ丘団地の北西角から南下すると約350m
逆に団地の南西角にあたる夏秋橋東詰から北上すると300m弱
夏秋橋の東詰から北上した方が近いのですが このコースの方が道が狭そうなのと
夏秋橋付近で車を停めておく場所が難しいので
団地の北西角から歩いてみました
小径への入り口付近で市道がカーブしていて路肩が少し広くなっています
30分程度なら迷惑にならずに済むでしょう
小径を進むと名張川の河原越しに黒田や短野の方が遠望できて気持ち良いのですが
ところどころに大型ゴミが不法投棄されていて気が滅入ります
10分も歩かないうちの左側に覆屋が見えてきました
![](https://blog3.hessroom.com/wp-content/uploads/2022/05/IMGP4810-2-2-1024x683.jpg)
重制石幢の龕部だけが残されたもの
龕部の上部に笠石と接合する際の枘が残っています
龕部の裏側は見ることができませんが
痛みがひどくて像容は定かではありません
摩耗が進んでいるだけでなく
正面左右の地蔵さんの顔が割られているように見えるのが気になります
![](https://blog3.hessroom.com/wp-content/uploads/2022/05/IMGP4796-2-2-1024x683.jpg)
小径の東側は団地が迫ってきていて
六地蔵さんがこの場所にあることには違和感を感じるほどです
開発の外縁部にとり残されたような地蔵さん
昔のこの地の様子を想像することは難しですが
杣山からの木材の搬出で
名張川沿いの薦生への街道は賑わったことでしょう
街道の道中安全や川の水運の安全を祈っている地蔵さんだったでしょうか
でもその古道は この辺りでは名張川の左岸を通っているはずです
この小径が街道の古道には当たらないとおもいます
![](https://blog3.hessroom.com/wp-content/uploads/2022/05/IMGP4808-2-2-1024x683.jpg)
資料を探してみるとひとつだけ この地蔵さんを記録したものがありました
『夏秋 六地蔵石幢残欠 江戸前期』とあって
所在地には『墓地』とあります
地図を詳細にあたってみましたが付近に墓地は見当たりません
名張川の左岸には 川が大きく湾曲する内側の沖積地と 夏秋橋の西詰を南に下った辺りに墓地がありますが この石幢のある右岸に墓地は見当りません
墓地も ことによると地蔵さんも 団地の造成などの際に移動しているかもしれません
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