室町時代後期
井関から県道一志美杉線を西へ 波瀬の集落ももう尽きようとするところ
民家と民家の間の狭い土地に六地蔵石幢が立っています
摩耗が進んでいて 地蔵さんの姿も うっすらとしか見ることができませんが
重制石幢の龕部です 時代の降ったものに比べて ずいぶん大きく感じます
波瀬城主の金生雅通が自害した場所に建てられたという言い伝えがあるそうで
地蔵塚と呼ばれているそうです
室町時代後期
井関から県道一志美杉線を西へ 波瀬の集落ももう尽きようとするところ
民家と民家の間の狭い土地に六地蔵石幢が立っています
摩耗が進んでいて 地蔵さんの姿も うっすらとしか見ることができませんが
重制石幢の龕部です 時代の降ったものに比べて ずいぶん大きく感じます
波瀬城主の金生雅通が自害した場所に建てられたという言い伝えがあるそうで
地蔵塚と呼ばれているそうです
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