室町後期
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菰野町田光の九品寺
巡見街道を行って もうすぐいなべ市というところです
その境内に祀られている六地蔵石憧が 三重県下で最も北部に残る六地蔵石幢です
町教委の解説には以下のようにあります
『六地蔵はもと田光城の上にあった清安寺に祀られていたが、信長の兵火に罹り寺が滅亡したので、里人によって多比鹿神社前の郷倉横に安置されていたのを、九品寺境内に移したものである。』 ※菰野町HP
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龕部だけが当初のもののようです 粗い花崗岩に彫られていて摩耗が激しく像容はあまりはっきりしません
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この石幢が信長の北伊勢侵攻の頃すでに存在していたということは 永禄十一年より以前に作られたことになります また 重制石幢には当初青石が多く使われていました 花崗岩が使われ始めるのは伊賀古山光明寺のものなどで 天文頃のようです それらのことからおよそ天文から弘治年間に作られたと考えることができそうです
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