延宝七年(1679)
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伊勢市神久 「じんきゅう」と読みます
神田社のそばにある神久公民館には大永3年銘の重制石幢が残されていますが そこから少し離れた 県道を挟んで北側の久志本墓地でも江戸時代の単制石幢を見ることができます 延宝七巳未年七月八日(1679)の銘があります
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伊勢市内の江戸前期の在銘石幢を並べて眺めてみると 年代が下るにつれて形式化が進み 笠などはすべて饅頭になっています 石材は市内の大永銘のものが全て閃緑岩であるのに対して江戸期にはいるとほとんどが花崗岩に変わっていきます
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六体の地蔵さんの持物は
宝珠錫杖 宝珠与願 宝珠施無畏 如意 念珠 合掌となっています
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参考書籍
「伊勢市の石造遺物」P165 伊勢市教育委員会
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