安土桃山時代
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長瀬はひなち湖のさらに上流 名張川沿いの山間部に開けた在所です 古くは伊勢神宮領六箇山の一部でした 六箇山は現在の名張市比奈知 滝之原 奈垣 布生 津市美杉町太郎生 奈良県宇陀郡曽爾村 御杖村にかけて広がる伊勢神宮領です この地に六地蔵石幢が残されている背景には この神宮との関係や 伊勢本街道に接続する参宮客の移動 隣接する美杉町多気地域との往来などが考えられそうにおもいます
笠石に中台が 中台には基礎が使われているせいで アンバランスな姿に見えます 龕部の地蔵さんは形式化が進み 安土桃山以降のものと考えられています
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参考書籍
「名張の金石文撰ー石仏•石塔編」P118 名張金石文研究会
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