永正十年(1513)
三重県有形文化財
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伊勢街道(参宮街道)の古い街並みが残る斎宮 中町公民館の前に立つ六地蔵石幢です
もとは中町地蔵堂にあったものが 明治の廃仏毀釈で地蔵堂が廃絶し ここに移されたといいます
その中町地蔵堂の旧地はというと 明和町史編纂委員会が編纂した『ふるさとの年輪』の中に次のようにありました
元の中町地蔵堂は、現在、エンマ川と呼ばれる水路と参宮街道が交差するあたりだったと考えられますが
ふるさとの年輪 明和町史編纂委員会 より引用
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上の写真がエンマ川と参宮街道が交差する場所です
斎王が伊勢神宮に行く時に祓いをおこなう「宮の東の堀の外」もこのあたりだったのではないかと考えられているようです
この石幢は、もともと斎宮の東の境界だった所に立てられたものではなかったか、と考えられるのです
ふるさとの年輪 明和町史編纂委員会 より引用
わたしはてっきり 参宮の道中安全を祈念したものかとおもっていたのですが
塞の神のように 異界との境界で 邪悪なものの侵入を防いでいたのですね
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六体の地蔵さんの姿ははっきりと残っています 左の地蔵さんは拱手 右の地蔵さんは梵篋
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左の地蔵さんは合掌 右の地蔵さんは施無畏宝珠
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左の地蔵さんは錫杖 右の地蔵さんは幢幡 幢幡の上部だけは欠落してしまっていて残念
六地蔵石幢(出典;現地案内板 明和町教育委員会)
(形状)
現地案内板より引用
総高194.5センチで石質は砂岩である。
笠裏には垂木型等なく、笠の一部を欠損している以外は、宝珠、龕部中台、竿、基礎の五部分は完存し、各部の均整のよくとれている点では県下の六地蔵石幢中非常に優れたものの一である。
竿石に、別記の刻銘があり、その製作もこれと一致しておりゆったりとした笠の形、こじんまりとしたしまりのある六地蔵中台の時代をよく示す美しい格狭間や蓮弁、すなおな竿石の姿、張りのある基礎の返花など、いずれも室町後期の特色を示す秀作である。
(由緒・特色)
斎宮は神領のため、明治初年の神仏分離令によりほとんどの寺院は廃せられた。笛川辺りの中町地蔵堂もその時廃寺となり、この石幢のみが漸く昔の面影を残し、笛川地蔵堂の古いいわれを物語っている。
県内には多数の室町期以降の六地蔵石幢が残るが、これらはすべて燈籠型である。単製六地蔵石幢も多少あるが銘のあるものは少ない。
西の方向に向かって少し傾いてきています 大丈夫かなあ
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参考書籍
「三重県石造美術」P338 太田古朴
「明和町史」P122 明和町
「明和ふるさとの年輪」P194 明和町史編纂委員会
2016.1.28
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