宝暦四年(1754)
天台真盛宗橋本寺 名阪大内インターを下りて波多野街道を上野に向かって走るとすぐに右手に見えてくるお寺です
境内の六地蔵石幢は重制石幢の龕部だけが残ったもので 笠石 蓮台 中台以下の基壇は寄せ集めですが 境内のよくわかる場所で 大切にお祀りされています
僧衣を八の字に開いた地蔵さんです 同じ大野木の西福寺の石幢など 伊賀の江戸時代の石幢に多く見られます 枠取りをした中を彫り窪めているところも伊賀で見られた流行のようです
この石幢には江戸中期 宝暦四年(1754)の刻銘があります
三重県内の在銘の石幢の中では最も時代が下る石幢です
江戸時代初期頃からの流行の終焉を伝えています
参考書籍
「上野市史文化財編」P680 上野市史編さん委員会 編
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