江戸時代
上野城の東外堀に沿って南北に延びた町 玄蕃町
家老藤堂玄蕃や同じく家老藤堂新七郎の下屋敷があったところで
今でも武家屋敷町の風情が感じられます
狭い路地を入っていくと末光稲荷の石標が立つ小さな稲荷社があって
その境内の一角の小さな祠に石幢が残されています
重制石幢の残欠です
龕部上部のごく一部だけが残っていて
古い基礎石の上にそれを置き
さらにその上に丸石を載せて つぎはぎの地蔵さんに見せています
この丸石も一石五輪塔の水輪の残欠のようです
背面の様子はわかりませんが 比較的よく残った地蔵さんの頭部を正面にしているようです
枠取りをした中を深く彫り窪めてあって
伊賀盆地南部から美杉にかけて伊勢街道に沿って残る石幢とは
違った系統のものに見えます
これほど傷んだ姿になっても
路地の奥でずっと人の祈りを聞き続ける地蔵さんです
参考書籍
「上野市史文化財編」P680 上野市史編さん委員会 編
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