室町後期
太田古朴氏が美杉村史に書かれた多気の六地蔵石幢についての記事中に「尚一志郡に存在する同種のものには左記があるが何れも六地蔵部のみで他を欠く。大部分室町末期のものである。」とした上で何箇所かの石幢の所在を紹介されている ほとんどはお馴染みの石幢でここにも紹介したが 中に「天白村田面」という記載があって これにはずっとお手上げのままになっていた
「一志郡天白村」は明治22年から昭和30年までの間に存在した村である 現在の松阪市の曽原町と小津町と中道町と中林町と喜多村新田町に当たる そして「 田面」だが わたしは「田の畔」ほどの意味に取り違えていて 旧天白村村域の田園地帯を探し歩いてみたのだが全く手掛かりはなかった
最近少し暇にしているおかげでGeoshapeリポジトリの歴史的行政区域データセットβ版というものの存在を知り さっそく「天白村」を検索してみたところ1920年時点の村内の小字が記載された地図を見つけることができた
「田面」は「田の畔」のような一般名詞ではなくて旧村に存在した小字名だったのだ 現在の曽原町の西部である
さあさっそく出動である
歴史的行政区域データセットβ版の地図では国道23号線から西側で中道町の北側が旧字「田面」である 墓地や公民館の駐車場や集落の出入り口など石幢が残されている可能性の高そうな場所をチェックしながら 古くから使われていそうな道をしらみつぶしに歩いてみるとようやく発見した
中台と幢身が失われた複制の石幢だが 龕部だけが当初のもののようだ 痛みが激しく地蔵さんの像容はほとんど分からないが 二面ほどの地蔵さんだけが辛うじてわかる
現場では日が暮れかかっていて 緑尖岩かとおもったが写真で見直すと砂岩のようだ
参考書籍
「美杉村史下巻」P626 美杉村史編集委員会
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