元禄七年(1694)
伊勢と隣接する旧二見町にも六地蔵石幢が多く残されています
今では伊勢市と合併していますが 2005年までは度会郡二見町でした
二見は伊勢神宮の禊の地でしたが 「溝口」は「ミソギグチ」から転じたものだといいます その溝口の墓地に元禄七年銘の単性石幢が残っています
国道42号線を走る ややこしいのですが 伊勢市~鳥羽市の区間は167号線との重複区間になっているので わたしらのように古い人には167号線と言ったほうがピンときます 汐合大橋を渡って五十鈴川右岸に広がる集落が二見町溝口です 字の中央を東西に県道が横切っています
Google Mapを見ながら溝口の地内に墓地を探したのですが見つかりません 溝口の字から東に50mほど外にでたところに墓地がありました 地図で見ると隣の字 山田原となっています たぶん字の外に設けられた古い三昧で 後世にその三昧の周囲に新しい集落が発達したのでしょう 墓地の入り口に花崗岩に彫られた単制石幢が立っていました
美しい六角の幢身の各面に像高52cmとややおおぶりな地蔵さんが半肉彫りされていて 四面に刻銘があります
上の写真では『元禄七申戌歳』『施主法誉妙性』の一部が見えています
他に『墠場施主寿盛信亥』『七月廿四日』
地衣類もまったくなく美しく祀られています
参考書籍
「二見町史」P589 二見町
コメント