三津墓地の六地蔵石幢 伊勢市二見町三津

延宝元年(1673)

伊勢市二見町三津 
町の南辺に沿って五十鈴川派川が流れています 
昔は現在よりも川幅が広く
三津湊と呼ばれるほど船の出入りが盛んだったらしい 
五十鈴川を遡った倭姫が船を止めたのがここであったため 
『御津』と呼ばれるようになったといいます
南東部の丘陵地は伊勢安土桃山城下街が占めていて
安土城の町と言えば誰もがわかるとおもいます
そんな三津の在所の北東の隅に墓地があります

墓地の入り口に重制の六地蔵石幢が立っています
洗練されたものではありませんが
素朴な地蔵さんが各面に彫られています
延宝元癸丑天と1673年の記銘があります 

大正十二年にここに移さる前にはJR参宮線二見浦駅の南にあったようです
この墓地の一ブロック南を二見道が東西に通っていて 
二見浦駅の手前で南北に分岐しています
北に向うと二見浦 南に向うとかつて三津浜の渡しがあった引船橋でした 
今では墓地の六地蔵役をされていますが
昔は二見道の往来の安全を見守る地蔵さんだったのだろうとおもいます

 参考書籍

「二見町史」P582 二見町 

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