室町後期
白山町三ケ野 青山高原の東麓 雲出川の支流三ケ野川に沿って拓けた谷田の集落です 野原に満ちるということから古名の満賀野が転じて三ケ野とよばれるようになったといいます
在所の中をグリーンロードが南北に縦貫していて随分便利な場所になりました そのグリーンロードが三ケ野川を渡る橋から見える丘の上に弘安寺があります
境内に六地蔵石幢の龕部が残されています 幢身や中台は失われていて 笠・宝珠・基礎も不揃いなようです かろうじて龕部だけが残っています 六面それぞれに肉彫りされた地蔵さん 摩耗が激しくその像容ははっきりとは見えません
上の写真の後ろに少し見えている五輪塔が真盛上人供養塔 上人が伊賀西蓮寺で入寂した明応四年(1495)の銘が刻まれています 他の石碑にも元和五年(1619)をはじめ江戸時代初期からの刻銘がみられます
参考書籍
「一志郡史下巻」P418 一志郡
「美杉村史下巻」P626 美杉村史編集委員会
「はくさんの石造物-大三地区編」 P108 三重県津市教育委員会
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