高木墓地の六地蔵石幢 伊勢市船江町

江戸前期

松阪市にも船江町がありますが
これは「府内ふない」から転じたと聞いたことがあります
伊勢市船江町
こちらの古名は「船饗ふなあえ」だったそうです
宮川の支流と勢田川が交わり多くの船舶が集まる場所でした
高木墓地は勢田川と桧尻川に挟まれた町のほぼ中心に位置しています
市街地の中にブロック塀で囲まれた墓地
ちょうど歩道橋を降りた場所に墓地への入り口があって
その前を学校帰りの子どもたちが行き交っていました

ブロック塀の切れ間から墓地に入ると 
地蔵さんの坐像に並んで単制の石幢が建っています 
六角柱の幢身の各面に一体ずつの地蔵さんが肉彫りされています 
大抵は高さを揃えてそれぞれの地蔵さんを彫りますが
この石幢の地蔵さんはそれぞれ高さを変えて彫られています 
当時は斬新というか随分ハイカラに見えたのではないでしょうか

伊勢市の石造遺物(伊勢市教育委員会)には 
「江戸前期十七世紀前半の建立ではないか」とあります
17世紀というと俳壇の伊勢派やら山田羽書やら慶安のおかげ参りといった 
元禄期の幕開けを感じる出来事が思い浮かびますが 
18世紀に入ると天災による辛酸が繰り返されて
宝永2(1705)年同3年(1706)と明和3年(1766)の三度の大火 
寛保元年(1741)の洪水でも大きな被害を受けています 
「山田領溺死五十四人半潰四百軒也」※寛保洪水記 
地域のそのような歴史を 
ずっとここに立って見つめてきたのでしょうか 

参考書籍

「伊勢市の石造遺物」P163 伊勢市教育委員会  

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