宝永四年(1707)

津市白山町南出の信蓮寺
天文十九年銘の大きな地蔵さんがおいでで何度か写真を撮らせてもらったのだが うかつにも地蔵さんに並んで重制の六地蔵石幢が立っていることに気がつかなかった 幢身に『宝永四年亥年』(1707)の紀年銘がある
17世紀後半頃より伊勢では単制石幢が増えてくるのだが ここ一志の周辺では江戸時代中期まで重制石幢の建立が続いたようだ
宝永四年はといえば十月には宝永の大地震がおこっている これは南海トラフの巨大地震でマグニチュードは8.4-9.3と推定され 三重県の平野部も震度6-7の地震にみまわれたと考えられている そもそも宝永の改元は元禄末の元禄地震の為の改元だったのだが その四年後には宝永の大地震が襲い 更には富士山や浅間山や阿蘇山や桜島などが軒並み噴火をおこすなど 巷を不安が覆った時代だった


参考書籍
「はくさんの石造物-倭地区•補遺編」P49 三重県津市教育委員会
「美杉村史下巻」 P626 美杉村史編集委員会
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