大永三年(1523)
伊勢市有形文化財

伊勢平野に中世の石仏が少ないのは明治の廃仏の影響が大きいのだろうとおもうのですが 六地蔵石幢に限って言えば 伊勢から小俣辺りにかなり多くが残されています 何故なのだろう この地の石幢は 大和盆地から伊賀~美杉~伊勢と 伊勢街道を辿って伝わったように見えます 石幢がお伊勢参りと関係して普及したらしいということは容易に想像がつくのですが 流行の痕跡が伊勢とその周辺に集中している理由と それらが過酷な廃仏の嵐をかいくぐって現在も残されていることの理由はどんなところにあるのでしょう

中小俣の公民館前に残された石幢 伊勢市内の六地蔵石幢の中ではもっとも古い石幢です 大永三年(1523)の刻銘があります 神久町の石幢同様に閃緑岩に彫られているので少し黒っぽく見えます

中小俣六地蔵石幢
高さ193㎝ 大永三年(1523)作
現地案内板より引用
元は中小俣道に面した民家の隅に建っていたが、
昭和三十八年に道路拡張により、現在地に移された。
地蔵信仰がこの地で始まった頃の貴重な遺物のひとつである。
上区に大永三□□□月吉日、下区に□□一結衆とある。


参考書籍
「三重県石造美術」P338 太田古朴
「小俣町史通史編」P203 小俣町史編さん委員会編
コメント