南北朝時代
伊賀市有形文化財
玉滝は名張の黒田荘とともに東大寺の荘園が発達した場所だ 当初は「玉滝杣」と呼ばれ 東大寺に必要な材木を伐採するための場所だったが次第に内保 湯船 鞆田 真木山へと拡大していき 広大な玉滝荘が形成されていった そのほぼ中心地にある玉滝神社の神宮寺であったのが普賢院だ 伊賀市の有形文化財に指定された南北朝時代の石幢が残されている
玉滝の普賢院には境内には他に石製の手洗鉢が残っている
現地にある教委の案内板には次のようにある
手洗鉢として利用されているが、もとは石風呂である。鎌倉から南北朝時代におこなわれた湯屋信仰の名ごりを留めるものである。全国で六十数基確認される石造湯槽のうち、最大のものとされる。
湯屋信仰というのは風呂講のことだろう 穢れに触れることのできなかった僧侶は沐浴を重んじていた 東大寺などに大湯屋が残されているのにはそういった起源がある そのうち寺院の湯屋を庶民に施す「施浴」がおこなわれるようになり さらに個人にも地方にも広がっていく中で「風呂講」がおこなわれるようになった この石風呂も「祓い」と「施浴」のために使われたものだろう
参考書籍
「伊賀の石仏拓本集」P39 市田進一
「伊賀」P75 川勝政太郎
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